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AI翻訳では得られない経験としての学び

投稿日:2026年03月25日

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 まもなく『創造的自己研究ハンドブック:創造性を発揮するための心理学的探究』が出版されます。これは、『The Creative Self』という英語の研究書を翻訳したもので、わたしも翻訳を分担しました。今回は、その翻訳で経験したことを書いてみたいと思います。
 Creative Self(創造的自己信念)とは、簡単に言うと「なにかクリエイティブなことをやってみよう!」と考えて行動する際の動機づけ(モチベーション)のことです。「知らなかったことが分かると面白いから、もっと勉強しよう!」と学習の動機づけが高まるのと同じように、創造活動の動機づけも、何かを作ってみる時の原動力になる信念や態度と捉えられています。様々な研究から、創造的自己信念が高いと、創造的な活動に価値を見出し、そういった行動を頻繁にとることが知られています。逆に、「自分にはクリエイティブな才能はない」とか「みんなと違うことをすると認めてもらえない」などと考えると、創造的な活動を避けたり、その価値を低くみなしたりしてしまいます。
 さて、翻訳といえば、今のAI翻訳(機械翻訳)は素晴らしいです。とても自然な日本語に訳してくれます。おかげで、誰でも気軽に外国語の記事やwebsiteを日本語で読むことが出来ます。しかも、一瞬で自動翻訳が完了します。一方、人間が翻訳をする時は大変な時間と労力がかかります。それが分かるのは、訳者による後書きです。訳者が何年もの歳月を費やして翻訳作業を進めたことや、その間に多くの関係者の協力を得たこと、例えば関連資料を集めてもらったり、著者本人の話を聞いたり、担当編者や家族に励ましてもらったりしてようやく出版にこぎ着けることが出来た、との謝辞が述べられています。
 人間であり翻訳素人のわたしは、翻訳の際、主に二つのことに多くの時間を割きました。まずは、著者が言いたいことを裏づける様々な資料にあたり、それらの内容を自分でも理解した上で、適切な日本語表現にしていくことでした。文脈や背景を理解しなければ、自分の翻訳が正しいのか判断できません。AI翻訳後に人間による確認編集が必要なのは、こうした点にあります。二つ目は、直訳してしまうと読みにくい文章表現を、文意を損なわないようにどの程度まで読みやすい訳にしていくかでした。英語と日本語は文法構造が大きく異なるために、直訳だと意味が分かりにくくなるのですが、学術書は意訳を避ける傾向があります。正確さを尊重するからです。しかし、英語特有の表現をそのまま訳すと誤訳になる場合があります。これらのことをチェックするのに膨大な手間と時間がかかり、プロの翻訳家の仕事のすごさをしみじみ感じました。
 特に二つ目は、本当に四苦八苦しました。わたしは単なる心理学者です。外国語翻訳の訓練を受けたことなどありません。英語も必要に迫られて読んでいるにすぎません。困ったわたしは何か良い本がないものかと探してみました。すると、行方昭夫先生の著作が非常に助けになるということが分かったのです。行方先生は、長年、翻訳家として数々の文芸作品を手がけられただけでなく、英文読解などに関する多くの著作も刊行してこられました。それらの書籍を教科書に、通勤の合間に読解問題に取り組むことで、翻訳が如何に奥深く面白いものかを身をもって学ぶことが出来ました。「そんな日本語は全く思いつかなかった!」というような、目からうろこが落ちる経験を何度もしましたし、わたしの初歩的な誤訳にも気付かせてくれました。
 AI翻訳のスピードと簡便さは、偉大です。仕事に限らず日常生活でも、欠かせないものになっています。しかし、著者の意図を文脈や背景情報から正しく読み取り、さらに適切な日本語表現になるように「ああでもない」「こうでもない」とひたすら頭をひねる経験、翻訳の際に自らの日本語能力そのものを試される経験、こういった経験はAI翻訳では得られません。翻訳作業に長い時間をかけて向きあった経験は、わたしにとって得がたい学びの機会となったのです。

こども心理学部

横地 早和子

横地 早和子
(YOKOCHI Sawako)

プロフィール
専門:認知心理学、教育心理学、認知科学
略歴:名古屋大学大学院教育発達科学研究科博士課程後期修了。
東京大学大学院情報学環・学際情報学府特任研究員、同大学院教育学研究科特任助教を経て、現職。

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