前回のブログ(2022年末)では、「過去へのいざない」ということで、記憶の心理学を基に懐かしさやノスタルジーについて紹介しました。確か“過去を振り返ることは古さと新しさの双方を兼ね備えているようにも思えます”と結んだように思います。今回もこのように温故知新を基に心理学の学びについて少し考えてみます。古くて新しいテーマとして「意識」を取り上げてみます。
「意識がある」とは「気づいている、注意を向けている、把握している」などと意味することが多いです。心理学の歴史を少しひも解くと、実験心理学の成立当初は自身の意識内容について観察・考察する内観報告で比較的主観的に検討されたり、その後の客観的な行動主義では意識についてとらえる必要は無いとされたりしていました。現在では、認知心理学の分野でも潜在認知として多くの研究がなされるようになりました。心理学以外の分野でも、意識については哲学の中では古くから根本的な問題として扱われています。さらには現在では、諸科学の発展により、神経科学やロボット工学などの分野での研究も非常に盛んに行われていることは周知の通りです。
このような中で20世紀を代表する発達心理学者J.ピアジェも意識について調べています。ピアジェは生物学や認識論(哲学の一種)を基に子どもの思考に関する数多くの研究をしていました。その一環として、子どもたちがどのような世界観を持っているかについて、さまざまな事物や事象について意識があると思うかどうかについても調べました(20世紀前半頃です)。実際には、ヒト、ヒト以外の動物、植物、自然物(山、川、太陽)、自然現象(風や稲妻)、物体(ろうそく、時計)など様々なものに意識が与えられているのかどうかを尋ねています。そこでは、感じることができるのか、知ることができるのか、(自分の意志で)動くことができるのかといったような内容のことを幼児期や児童期の子ども達にも分かるような平易な言葉で丹念に丁寧に尋ねていました。ピアジェはフランス語圏(主にジュネーブ)で研究をしていましたが、その後アメリカなどの英語圏をはじめ世界各地で追試されました。日本でも多くの研究がなされています。
ただ、意識については、言葉の問題のみならず、自然や生命や人間などに対するとらえ方によっても異なってきます。そのため、生物学と認識論に基づいたピアジェの研究を深く理解するには当時のフランス語圏の文化や歴史を理解する必要があるということも言われています。(このブログは日本語で書いていますが……)
些細な一例ですが、「意識」は古くて新しいテーマであり、心理学の学びにも時には温故知新が必要な場面もありそうです。