皆さんもご存知の唱歌「ちょうちょう」は、明治14(1881)年に文部省「小学唱歌集」初編で第十七番「蝶々」として初めて紹介されて以来、今日では誰もが歌える有名な曲になっています。戦後は1番の歌詞(一部を変更)のみ教科書に載り、それが今日も歌われています。
明治時代初頭、西洋式音楽教育を導入しようとした政府は、音楽取調掛(現・東京芸術大学音楽学部)の下にアメリカから御雇外国人を招き、唱歌教育の基礎を作りました。その際に紹介され、上記の唱歌集に掲載されたのが「蝶々」でした。アメリカでは“Lightly Row”(ゆったりと舟を漕ぐ)という歌詞でしたが、愛知で歌われていた別の童歌から歌詞を当て、唱歌「蝶々」が誕生したといわれています。
その当時の解説に基づき、我が国では「蝶々」の原曲はスペイン民謡とされてきましたが、正しくはドイツ民謡で、“Alles neu macht der Mai”(五月はすべて新しく)が原曲であろうと、かなり後になって分かりました。
「蝶々」のメロディは世界的に広く受け容れられており、各国で様々な歌詞が当てられています。特にWiedemann, F.(1821~1882)による「小さなハンス(Hänschen klein)」は、ドイツではよく知られています。三節からなる歌詞は長いので要約すると、「ハンス坊やは冒険の旅に出ることにしました。母は別離を悲しみながらも無事を願い見送りました。世界を旅して7年後に故郷に帰って来たハンスは、まったく別人のようになっていました。路ですれ違う人々、妹ですら、あのハンス坊やだと分かりません。しかし、母親だけは、ハンス坊やだとわかり、喜びました。」という内容です。
この歌詞には、長い旅の様子は語られていません。そのため解釈は様々です。一体、旅の間に何があったのでしょうか。7年間の成長だけが、彼を別人にしたのでしょうか。母がハンスだと分かって喜ぶのは、曲の最後です。ここに、どれほど変わってしまっても母だけは分かってくれるという深い意味があるようにも思います。
さらに歌詞を深読みしてみます。勇んで出て行く息子、無事を願う母、「7年」という妙に具体的な年数、すっかり変わって帰ってきた息子、帰郷を喜ぶ母。これらの断片から、ぼんやりと、7年戦争(1756-1763)に出征したハンスを想像できます。7年戦争は、第一次世界大戦よりも前の世界大戦といわれています。多くの人が亡くなり、命は助かっても時に手足を失い、時に深刻な心的外傷を負ったことは、想像に難くありません。もしハンスが別人のように変わり果てた姿で帰郷した兵士だったとしたら。あくまでも深読みです。ちなみに「ハンス」というのは日本での「太郎」のような、ドイツ人男性の代表名です。
今年没後40年、来年生誕100年を迎える映画監督Sam Peckinpah(1925-1984)の英・西独合作映画“Cross of Iron”(1977, 邦題:戦争のはらわた)は、戦争の愚劣さ、醜さ、非人間性を鋭く描いた作品ですが、この映画のオープニングとエンディングテーマ曲が「小さなハンス」なのです。凄惨な作品内容と「ちょうちょう」のメロディに強い違和感を覚えますが、歌詞の意味を深いところで捉えた選曲ともいえるでしょう。
ここ数年、世界中で平和が壊され、さらに脅かされています。今年のノーベル平和賞もそうした世界への警鐘なのかもしれません。今日のあなたが明日のあなたでいられるために、平和ほど尊いものはありません。そんなことを、皆さんが知っている唱歌「ちょうちょう」から考えてみました。