ドヴォルザーク(Dvořák, A. 1841-1904)作曲、交響曲第9番「新世界より」という曲をご存知でしょうか。その第二楽章は「家路」とも呼ばれ、夕方に帰宅を促す曲としても有名ですので、おそらく、どこかで耳にした人も多いと思います。この交響曲の演奏所要時間は45分間ほどですが、その中でシンバルは最終楽章の中程で、 1回だけ鳴らされます。クライマックスでもなく、ごく小さな音で地味に、しかし鋭く1回だけ。でもこの音は欠くことができない大切な一音です。
この楽曲の演奏には、約80名のオーケストラ楽団員を必要とします。それぞれに高度な専門性を持ち、誰一人、欠くことのできないメンバーです。シンバル奏者は、その地味な一音のためだけであっても演奏会場に出向き、持てる技量の全てをその一音に込め、楽曲の完成のために献身します。
ちなみに、プロオーケストラの場合、その楽曲で一音だけを奏でるシンバル奏者も、一曲で数千の音を奏でるヴァイオリン奏者も、給料は同じです。しかし、それに苦言を呈する楽団員はいません。なぜならそれぞれの専門性に対して、相互にリスペクトがあるからです。オーケストラにおいて、ヴァイオリンには10名単位で同時に同じ音を奏でる仲間がいます。ならば、「この曲で、シンバルが一音だけなら、ヴァイオリン奏者の一人が臨時にその時だけシンバルを担当すれば、人件費も安くなるから効率的では?」と考えられるかもしれませんが、それは絶対にしません。プロの技量は他に代えがたいものであり、シンバルで短く鋭く小さな音を立ち上げることの難しさ、その一音を奏でるための極限の緊張を知っているからです。こうして交響曲(symphony)は、専門家集団の役割を通した献身と個々の音色が協和して完成するのです。
こども保育・教育専攻の2年生の保育者養成科目「音楽表現指導法」という科目の中で、簡易ハンドベルを用いた『かえるのうた』合奏の指導展開を模擬実践する機会があります。皆さんおなじみのあのメロディー、「ドレミファミレド〜、・・・」と階名唱をすると分かるのですが、この曲では「ラ」が鳴るのは1回だけです(譜例参照)。学生達の模擬実践をみていると、一人一個ずつベルを持たせた場合、その1回だけの「ラ」担当の子は「かわいそう」なので、「ソ」と併せて3回音を鳴らせる役割にしてあげる、という「配慮」としばしば遭遇します。それも一つの配慮なのかもしれませんが、本当に「ラ」担当はかわいそうなのでしょうか。
とある幼稚園の発表会で『かえるのうた』の簡易ハンドベルを含む合奏が披露されました。この欠くことのできない「ラ」一音を、ある子どもに託した先生がいました。「ラ」担当の子は、四肢の運動に支援が必要な子でしたが、先生の支援もあり堂々と「ラ」を鳴らし、そして『かえるのうた』は立派に完成しました。合奏に参加した子ども達全員が、一曲を完成させるために「欠くことのできないメンバーの一人」になった瞬間でした。私はその時、『かえるのうた』に『新世界より』のシンバル奏者を見出したのでした。「ラ」を託した先生の思い、皆の期待に応えた子ども、互いを信じリスペクトすることの大切さを教えられたひとときでした。これも音楽を通して学べることといえるでしょう。