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大切な人を失うということ ペットロス

投稿日:2022年11月10日

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対象喪失~ペットロス~

 出逢いと別れは必ずセットです。出逢いがあれば必ず別れもあります。こうして僕たちの暮らしは絶えず変化しています。まさに生々流転、会者定離。そういう生きてゆく上での「システム」の理屈は分かっていても、それが具体的にいつ?どこで?だれと?なのかを全く知らないまま、僕達は生きてゆかなければなりません。

 某年某月のある日、翌日の日付になろうとした瞬間にぷーこは亡くなりました。僕の猫好きを知る人は多いと思いますが、我が家のお姫様のぷーこが、食事もとらず、動かなくなってしまったのです。それからは、朝の出勤前に動物病院にぷーこを預け、帰宅途中でぷーこを抱っこして帰る暮らしを続けました。ぷーこの腕には点滴のための「管」が常時取り付けられ、グルグル縛られています。ぷーこは衰弱してゆくばかりです。僕も食欲がなくなり、何もできなくなってしまいました。そして、思い切って獣医さんに訊きました。「先生、ぷーこは良くなりますか?」。獣医さんは一瞬たじろぎましたが、冷静に事実を教えてくれました。「これは治療ではなくて、延命です」。毎朝、病院が怖くて、ぷーこが重い体を引きずって、ベッドの後ろに隠れてしまうことが思い出されました。常に装着したままの点滴用の管を痛がっていることも思い出されました。そこで、僕は決心し、「先生、もう点滴はやめます」と伝えました。獣医さんは「分かりました」と静かに答えて、点滴用の管をそっと外してくれて、「もう痛くないね。綺麗になったね」と優しくぷーこに話しかけてくれました。

 さて、それからは、僕はベッドにぷーこを寝かせて仕事に出かけました。もう水を飲むことも動くこともできないのです。けれども、弟のぷーすけとnpちゃんと一緒に過ごすことができます。ぷーこが亡くなっていることを覚悟しながら帰宅する日々は非常に辛いものでした。一方で、家に帰り、ぷーこが静かに呼吸をしているのが分かると心の底からホッとしました。

 そして、その夜、ぷーこと添い寝していると、動けないはずのぷーこが上半身を動かし、僕の鼻に自分の鼻を押し付けて「すりすり」してくれました。これはぷーこがご機嫌のときの仕草です。次の瞬間、ぷーこは少し体を揺らして、そのまま息を引き取りました。

 何も知らないぷーすけとnpちゃんは、「ナニ?ナニ?ナンダ?」と寄って来て、ぷーこの周りをうろうろしています。僕が「ぷーこは死んだんだよ」と言うと、ぷーすけ達は「ドウシテ?」と僕に訊きいてきます。僕は「ぷーこは20歳という高齢で腎機能不全を起こしてね…大往生だよ…」と言いかけて止めました。こんなとき科学は力を発揮しません。もちろん心理学による「解釈」も意味をなしません。僕達が知りたいのは「高齢…腎機能…心停止」等という無機的な科学的説明では全くありませんし、「ぷーこの死を乗り越えて逞しく生きよう」等という陳腐な心理学的解釈でもありません。僕達が知りたいのは「ドウシテ?他ナラヌ僕タチノぷーこガ、ドウシテ、イマ、死ンデシマワナケレバナラナカッタノカ?」なのです。

 その日から後の数日を僕はよく覚えていません。添削しなければならないレポートは溜まっていますし、講義は続いていますし、カウンセリングの予約もいっぱいです。できれば、そんな全てを放り出して毛布でくるんだぷーことずっと一緒にいたかったというのが本音です。しかし、冷たくなったぷーこをこのままにしておくのは可哀想になり、どうすれば良いか、役所に電話をして訊きました。するとたちの悪いジョークのように「生ゴミ収集の日に出して下さい」と言われました。とてもではありませんが、そんなことはできないので、友人知人に尋ねて回り、ペットの葬儀屋と知り合い、ぷーこを火葬して、お骨にしてもらいました。

 それからの僕はいわゆる「ペットロス」と呼ばれる「うつ状態」だったと思います。心理学では対象喪失による悲嘆反応と呼びます。「たかが猫一匹」と一笑に付す人もいるでしょう。しかし、これが僕とぷーこの「関係」で、大切な「家族」であり、僕の心のダメージは尋常ではありませんでした。ぷーこが亡くなってから、日々、仕事はやっているのですが、喜怒哀楽が自分とは離れたところで生じて時間が過ぎていました。心理学をやっている自分で言うのもおかしなものですが、「これが感情の鈍麻か」とか「これが離人感か」等と、まさに他人事のように思っていました。

 そんなとき、いま振り返ると友人達は大変な気遣いをしてくれました。心理学のM先生はご自身が泣き出さんばかりに「大丈夫ですか?」と言葉をかけてくれました。看護学のN先生は猫が天使になる絵本をたくさんかしてくれました。僧侶でもある死生学のT先生は、ぷーこに「蓮遊院釋尼妙誠」という戒名を授けてくださいました。今だから、「こうした支援はソーシャル・サポートと言って、抑うつ状態の改善には有効なのだ」と理屈で説明できますが、当時はこうした気遣いがそっと僕の心に浸透していきました。

 講義では、ぷーこ関係のスライドをそのまま使い、ぷーこが亡くなったとは言いませんでした。学生の皆さんを騙したようで申し訳なく思っています。けれども、本当のことを言う勇気が出なかったのです。ぷーこが生きているかのように話しをするチャンスを下さった皆さんには本当に感謝しています。

 その後、僕はいつでもどこでもぷーこを探していました。街中でよその猫を見かけると「うちのぷーこはどこだ?」と探してしまったり、買い物に行っては「ぷーこの好きなホタテのお刺身を買おう」と思っていました。そんな日々がずっと続いていました。

 でも、ぷーこは、今、いつも僕と一緒にいます。お骨を小さな小さなカプセルに入れて、肌身離さず暮らしています。そのカプセルは大切なお守りです。ぷーこはいつでもどこでも僕と共に在ると感じます。ぷーこは今の僕の心の一部になっています。僕の世界の一部にもなってくれました。

 大好きなぷーこ、本当にありがとう。

在りし日のぷーこ

こども心理学部

須田 誠

須田 誠
(SUDA Makoto)

プロフィール
専門:臨床心理学・コミュニティ心理学
略歴:慶應義塾大学文学部心理学専攻 卒業
慶應義塾大学大学院社会学研究科社会学専攻博士課程 単位取得退学
慶應義塾大学医学部 非常勤講師
埼玉県警察本部少年サポートセンター 資質鑑別専門員
深谷メンタルクリニック 心理士
公認心理師・臨床心理
研究者紹介【Humans】:https://humans.tokyomirai.ac.jp/post-1059/

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