
私は非行少年や犯罪少年のカウンセリングをしていました。そのときに返答に困る質問を受けることがしばしばありました。その最たるものが「なぜ人を殺してはいけないのか?」です。カウンセラーを挑発するためにわざと露悪的に質問してくる場合が多いのですが、本心から質問してくる場合もありました。
私は当初、ごく一般的な説諭をしてしまったのですが、これが大いに反発されてしまうのです。そして、私は悩みぬいた挙句、正直に「わからない」と答え、「一緒に考えよう」という姿勢を見せるようにしました。すると、やいのやいのと文句を言いながらも一緒に考えてくれるようになったのです。
さて、人気を博した朝ドラ『虎に翼』。日本で初めて女性で裁判官になった寅子(ともこ)の物語です。
寅子はかつて、人を支配して盗みや売春をさせる女子高生:美佐江と出会い、更生させようと試みますが、拒否されてしまいます。なぜなら、寅子は美佐江のことを「怖い」と考えてしまい、それを美佐江に悟られてしまったからです。
美佐江は知的レベルが高く、地方から東大に進学し、やはり人を支配しようと試みます。しかし、「都会では私は特別ではなくなってしまった。私のような女はいくらでもいた。手のひらで転がすはずが、いつのまにか転がされていた。子どもを産めば特別になれるのかと思い、子どもを産んだが、何も変わらなかった。あの時、あの人(寅子)を拒まなければ、私は変われたのだろうか?」と遺書を残し、車に飛び込み、亡くなってしまいます。
巡り巡って、寅子は美佐江の娘:美雪の裁判に関わることになります。美雪は母と同じく、人を支配して盗みや売春をさせて起訴されました。美雪は寅子に母と同じ問い「なぜ人を殺してはいけないのか?」を発します。
寅子は命の尊厳に関する説諭をしますが、美雪は「そんなのつまらない」と騒ぎ立てます。しかし、寅子が「わからないからやってよいではなく、わからないからやらない」と伝えると、美雪は憮然としながらも受け入れます。
この「わからなさ」を巡る議論はとても大切なことです。哲学者の池田晶子さんは次のように述べています。
“科学主義の時代においては,倫理性ということがますます問われるようになってきます。人は絶対不可解ということに気がつくと,おのずから倫理的になるんです。わからないということを忘れているから,人は横暴になり,傲慢になる。わからなさを前にしたときの謙虚さということ以外に,我々の倫理性というものは発生し得ない。善悪の感覚,畏怖の感情のようなもの,我々の倫理の核はそこに,つまりわからないということに気がつくことにあるんです”(池田,2003)。
古代ギリシャの哲学者:ソクラテスの「無知の知」がとてもわかりやすく説明されています。
人はわからないときに、困惑し、不安になります。そのため、性急に答えを出したくなってしまうのです。しかし、そんな答えは、先入観や思い込みにまみれていて大抵は正しくありません。
なぜ核爆弾を使用してはいけないのか? なぜSNSで悪口を言ってはいけないのか? なぜ人を殺してはいけないのか? なぜ生きてゆかなければならないのか?
私は大学院でカウンセラーのトレーニングを受けていたときに、指導教授から「須田君は何もわかっていないのに、『なるほど』って言うね」と指摘され、顔から火が出るような思いをしたことがあります。わからなさを前に謙虚になる姿勢がないことに気づき、心から恥じ入りました。
わかったつもりになって横暴で傲慢にならないよう、今でも気を付けています。
引用文献
池田晶子(2003).あたりまえなことばかり トランスビュー

