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“当たり前”を問い直す――人権とは何か

投稿日:2026年04月23日

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「それって、本当に当たり前ですか?」
先生や親に何かを言われたとき、
「そういうものだから」と受け入れながらも、どこか納得できなかったことはないでしょうか。
あるいは、「なぜそれをしなければならないのか」と思いながらも、言葉にできなかった経験はないでしょうか。
その小さな違和感を考えるヒントになるのが、「人権」という考え方です。
人権とは、字義的に言えば「人が人であるという理由だけで持っている権利」です。
特別な人だけに与えられるものではなく、すべての人が生まれながらに持っているものです。
この考え方は、近代ヨーロッパで形づくられました。もともとはキリスト教の中で、「人は神の前では平等である」という思想が広まり、それが近代人権概念の出発点となりました。
しかし現代では、人権は宗教を超えたものとして受け入れられています。つまり、人権とは「人間が自ら定めた、人として守るべきルール」なのです。
私たちは今、「神が決めた社会(秩序)」ではなく、「人間が考えてつくる社会(秩序)」の中で生きています。そして、その近代社会の土台になっているのが、人権という考え方です。
では、この人権は子どもにも当てはまるのでしょうか。
答えは、もちろん「はい」です。
けれども、昔からそうだったわけではありません。かつては子どもは未熟な存在とされ、その気持ちや意見はあまり重視されてきませんでした。場合によっては、「言うことを聞くのが当たり前」と考えられていた時代もあります。
こうした考え方が変わってきたのは、社会が豊かになり、人々に余裕が生まれたこと、そして人権という考え方が広がったことが理由です。さらに、「子どもの権利条約」によって、子どもも一人の人間として尊重されるべき存在であることがはっきり示されました。
その中でも特に大切なのが、「子どもの最善の利益」という考え方です。
これは、「その子にとって何が一番よいのか」を第一に考えるというものです。
ここで、少し自分の経験を思い出してみてください。
「正しいことをしているつもりでも、本当に相手のためになっているのだろうか」
たとえば、強く叱ること。
将来のために必要だと思って、やりたくないことをさせること。
もしそれが自分に向けられたとき、あなたはどう感じるでしょうか。
それは本当に、「自分のため」だと納得できるでしょうか。
人権が大切にされる社会では、「正しいかどうか」だけでなく、
「相手がどう感じるか」「その人にとって何が最善か」を考えることが求められます。
ただし、ここで新しい疑問が生まれます。
「嫌だと言えば、何でもやらなくてよいのか?」
ここで立ち止まって、少し自分のこととして考えてみてください。
自分の気持ちを大切にすることと、
将来の自分のために必要なことは、
どのように折り合いをつければよいのでしょうか。
「今の自分の思い」と「これからの自分にとってのよさ」は、
いつも同じとは限りません。
だからこそ、人権とは“答え”ではなく、“問い続けるための視点”なのです。
また最近では、「人権に配慮しすぎて窮屈だ」と感じる人もいます。
けれどそれは同時に、「誰かを傷つけないようにしよう」という意識が広がっているとも言えます。
大切なのは、ルールに縛られることではなく、相手の立場に立って考える力です。
大学では、こうした「正解のない問い」に向き合います。
人権を、教育や福祉などさまざまな視点から学びながら、「なぜそう考えるのか」「他にどんな見方があるのか」を考えていきます。
そして、自分なりの答えをつくっていくのです。
「なんとなくおかしい」
「どちらが正しいのかわからない」
その感覚こそが、学びの入り口です。
人権とは、遠い世界の話ではありません。
それは、「人とどう関わるか」「社会をどうつくるか」という、自分自身の問いです。
ぜひ、大学でその問いに向き合ってみませんか。

こども心理学部

白石 雅紀

白石 雅紀
(SHIRAISHI Masanori)

プロフィール
専門:社会福祉学
略歴:岩手県立大学社会福祉学部卒業
岩手県立大学社会福祉学研究科博士後期課程修了
秋田看護福祉大学社会福祉学科助教
修紅短期大学幼児教育学科講師

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