
このブログの読者のみなさんが、学校の教職員や子どものいる保護者だったとしましょう。みなさんは、この表題の問いにどのように答えるでしょうか。多くの場合、この問いは「もう学校には行きたくない」「勉強なんてしたくない」といった子ども達の気持ちとセットで尋ねられます。
多くの方は「義務教育だからだよ」とお答えになるのではないでしょうか。なるほど、確かに日本国憲法には「教育を受けさせる義務」が定められています。しかし、この教育を受けさせる義務は保護者に課されています。ですから、子ども達には学校に行く義務はありません。子ども達にあるのは教育を受ける権利であって、義務ではないのです。
ではでは、それも踏まえて「どうして、学校に行かなくちゃいけないの??」という問いに、みなさんならどのように答えるでしょうか。もとより、私たちはこの問いに答えることができるのでしょうか。
教育を受けることには、人の文化を継承させるという側面があります。みなさんは読み書きや計算など、「学校では実用的なことだけを教えてくれればいいのに!」と思ったことはありませんか。「古典が何の役に立つんだよ!」とか「数学なんて意味ない!」とか思ったり、言ったりしたこともあるでしょう。しかし、『源氏物語』も『平家物語』も「アルキメデスの定理」も「ピタゴラスの定理」も全て、これまで人が生み出し、継承してきた文化です。そして私たち人は教育という営みを通して、その文化を継承しています。私はこの「人の文化を継承させる」ということが、「あなたを人として尊重しています」ということに他ならないと考えています。つまり、教育を受けるということは、人として生きるということそのものなのです。
さて、急に大げさなことを述べてきましたが、これは大きく論点がズレています。問われていることは「どうして、学校に行かなくちゃいけないの??」であり、「どうして、教育を受けなくちゃいけないの??」ではないのです。近年、教育機会確保法の施行により、学校へ行くことだけが教育を保障する手段ではないことが法的に認められました。たしかに、古代ギリシャ時代や江戸時代など、学校が整備されていない時代にも教育はありました。また、学校に行っているからといって、教育が保障されているとも限りません。学校は教育を保障するための手段であって、目的ではないのです。
しかし、私たちは学校で勉強だけをしてきたのでしょうか。例えば、多くの方が学校で身体測定や視力検査、聴力検査、歯科検診を受けてきたと思います。これは学校保健という学校の大切な役割です。また、学校は虐待や貧困の早期発見といった福祉の役割も担っています。我が国には、学校給食で栄養を補っている子ども達もいるのです。このように、学校は教育機関であるばかりではなく、子ども達の保健衛生や社会保障といった権利を保障する役割も担っています。こうした子ども達の権利を、学校なくして十分に保障するのは現実的ではありません。
結局のところ色々なことを考えれば考えるほど、私たちが表題の問いに答えることは難しくなります。そして、同じ難しさは子ども達も抱えていることでしょう。学校に行くのはしんどい、でも、行かなきゃとは思う。私は、子ども達なりに色々と考えた結果、出てきたものが「どうして、学校に行かなくちゃいけないの??」という問いなのだと思います。すると、私たちに求められているのは問いに答えることではなく、その問いの答えを一緒に考えたり、探したりすることなのかもしれません。そして時には子ども達と目線を同じくして、学校そのもののあり方も考える必要があるでしょう。

