特別支援学校では、午後の授業が始まろうとしていた。チャイムが鳴り、Bさんがいないことに気が付いた。他の先生方からも「あれ?Bさんがいないよ」「太田先生。把握してないの?」「どこ行った?」と問いかけが相次ぎ、一気に周囲はざわついた雰囲気となった。
私のクラスの男子生徒Bさんがいない。どこ行った。Bさんは自閉スペクトラム症。比較的重い知的障害も併せ持っていた。話し言葉はまだ獲得していない。手振りのほか、「ウー」などの声を出してしか要求を伝えることができなかった。しかし、言われていることは理解できていたので、私はBさんのコミュニケーションについて、あまり深く考えたことがなかった。そして、時々気まぐれにふらっといなくなってしまうBさん。私は他の先生方から「Bさんからは目を離さないように」とクギを刺されていた。
急いで校内を捜し回る。なかなか見つからない。まさか外に。焦る気持ちから汗が噴き出してくる。これはやばい。すると3階の窓から見えるプールのフェンスのあたりで、Bさんらしき人影がちらっと見えた。私は全速力で下に降りた。息があがる。いた。Bさんがいた。私を見てニコニコしている。何かを見ていたようだった。少し手振りをして、何か言いたげであった。もしかすると「先生も一緒に見てよ」と言いたかったのかも知れない。プールの水がキラキラ反射していた。
しかし、私には余裕がなかった。私は周囲ばかり気にしている傲慢な管理主義者だった。口では「子ども達一人一人を大切に」などと言っているくせに、寄り添う気持ちなどこれっぽっちもない教師だった。私は一方的に怒鳴った。「何してる」「もう授業の時間だろ」「先生のいうことをちゃんと聞かなきゃダメだろ」
するとBさんの笑顔は消え、やがて大きな声で泣き出した。混乱しているようだった。Bさんが私のシャツを強く掴んできた。何かを訴えているようだ。いつの間にかBさんと私は揉みあいのようになり、気が付いたら、はずみでBさんはフェンスに頬をぶつけて、血が出ていた。
私はBさんのお母さんに状況を説明し、謝罪した。しかし次の日Bさんは欠席した。その次の日も。そしてとうとう一週間続けて欠席した。電話をしても、お母さんは「風邪を引いたので」としか話さない。いや、風邪じゃない。あのことだ。あのフェンスでの頬の傷だ。私は動揺した。Bさんのお母さんはとてもしっかりした人で、丁寧に子育てされていた。これまで私との関係は良好だと感じていたが、どうなのだろう。とにかく家庭訪問に行った。結局、私は何にもわかっていなかった。
Bさんの家のチャイムを押すと、すぐにお母さんがドアを開けてくれた。お母さんは無言で、静かに私を見ている。お母さんのまっすぐした目に、私は謝ることもできず、立ちすくんだ。すると、お母さんは穏やかに話し始めた。
「太田先生ごめんね。休ませちゃって。大人げなかったよね。先生には感謝してるよ。ありがとうね。けどね先生。なんでウチの子、話せないのだろうね。話せるようになるのかな。言葉が話せたら、どんなにいいだろうって。言いたいこともいえなくて。誤解されて。決めつけられて。変な子だって思われて。本当はいろんなことを思ってるだろうに。何にも話せないまま生きていてさ。せつなくてさ。」
まっすぐ目をそらさずに涙を流しながら語ってくれたお母さん。お母さんのまっすぐの瞳から、ようやく私は、学ばなければならないのは自分の方なのだと知った。遅すぎた。何もわかっちゃいなかった。
長い時間が経っても、あの時のことは忘れることができない。子どもを理解するって何だろう。親に寄り添うって何だろう。あれからずっと考え続けている。