私には忘れられない出来事がある。Aさんとのことだ。
それは、まだ私が特別支援学校の教師だった頃だ。特別支援学校とは、障害のある子のための学校である。ここでは高等部3年生になると実習がある。いわば就職活動である。
私のクラスのAさんは、軽度知的障害の男子生徒であった。Aさんは強く企業就職を希望していたが、なかなか決まらずにいた。あと半年で卒業となり、私は焦っていた。「おしぼり工場に洗浄の仕事がある」と聞き、私は社長さんに面接の約束を取り付けた。
駅に歩きながら、私はAさんに「いいか。社長さんには大声で挨拶するんだ。」などと話した。Aさんは「はい。太田先生。わかっています。」「何とかしなきゃならないから。」などと話した。駅につくと二人でベンチに座った。ふと見ると、向かい側のホームに高校生がはしゃいでいた。「カラオケ行かない?」と話す笑い声がホームに響いていた。
すると、下を向きながら急にAさんが「いいなぁあいつら。楽しそうで。普通で。俺なんて勉強ができないから。これから面接で。特別支援学校だから。あいつらはいいよ。普通でさ。」と話し始めた。そして「俺だって就職さえできればさ…」とつぶやいたのだった。
私はAさんのつぶやきに愕然とした。頭を強く打たれたようだった。胸が苦しくなった。
Aさんはそんなことを考えていたのか。そんな風に自分と社会を捉えていたのか。Aさんの本当のねがいはごく当たり前の高校生活にあったのだ。でもそれが叶わないと知り、なんとか企業に就職し、生きようとしていたのだ。私はようやくAさんの深い悲しみを知った。
そういえば、私はAさんの気持ちを問いかけたことがなかった。Aさんがどうしたいのか。どんな生活をし、どんな人生を歩みたいのか。耳を傾けることなく、早く就職を決めるため、ただただ教師の都合で進めていた。私は自分を深く恥じた。教師失格であった。
Aさんのつぶやきをきっかけに、私は障害のある子の教育を深く考えるようになった。子どもの気持ちがわかる教師とは何か。社会にも理解を促すためにはどうしたらよいのか。必要な実践とは何か。そして、まずは私が学ばなければならないと考えるようになった。
Aさんのつぶやきは、私が学びと向き合う大きな契機であった。
あれから年月が経ち、私は東京未来大学で障害児支援について教えている。Aさんと同じような悩みをもつ子を受け止め、応援してくれる先生をたくさん育てたいと思いながら。