
先日、ある人から相談を受けた。その人は長年に渡り体操教室を主宰し、幼稚園や保育園でも幼児の運動指導に携わっている。
相談の内容は、体操教室に来ている3歳児のA君とお母さんのことであった。ある日の活動時、A君はみんなと一緒に活動ができなくて、気の向くままに動きまわり、やりたい放題だったという。相談者の先生が「みんなと一緒にやろうよ」とA君に声をかけると、A君は付き添いで来て見学をしていたお母さんの後ろに隠れたという。するとお母さんが「この子の主体性を大切にしたいので、やりたいようにやらせてあげてください」と伝えてきたとのことであった。
近年、保育・教育現場では「主体性」を大切にする考えが広く浸透している。「主体性」を辞書1)で調べてみると、「自分の意志・判断で行動しようとする態度」と記されており、今回の相談内容も「A君が自分の意志・判断で行動している」のなら、それは確かに主体性の姿といえるのかもしれない。しかし、このような行動は容認されるものなのだろうか。
幼稚園教育要領解説2)第1章第1節幼稚園教育の基本の中に、「幼児期の教育は、生涯にわたる人格生成の基礎を培う重要なものであり、(一部省略)幼児期の特性を踏まえ、環境を通して行うものであることを基本とする。」(p.26)と記されている。また、人間形成の基礎を培うことについて、「幼児期にふさわしい生活を展開する中で、幼児の遊びや生活といった直接的・具体的な体験を通して、人と関わる力や思考力、感性や表現する力などを育み、人間として、社会と関わる人として生きていくための基礎を培うことが大切である。」(p.27)とも記されている。
したがって、主体性は自ら考え行動したことに対して、そのことに対する結果についても理解し、受け入れることが大切となる。
今回のA君のような行動に対して、「みんなと一緒にやろうよ」と促したことへのお母さんの言動は、その活動を通してその先にある学びの芽を摘むことになったり、感情のおもむくままの行動(わがまま)に拍車をかけることになったりはしないだろうか。主体性を尊重することは大切だが、それは子どものしたいようにさせて見守るだけで良いのだろうか。
子どもと関わる中で「主体性」と「わがまま」の線引きが難しい場面は多々あることだろう。しかし、人間の生活や発達は、周囲の環境との相互関係によって行われるものであり、特に幼児期は心身の発達が著しい時期である。したがって、幼児自身が周囲の環境(人的・物的)との関わりを通して、試行錯誤したり、考えたりしながらその意味に気付くことが重要となる。
子どもの成長に携わる者として、改めてこれらについての理解を深め、保護者の理解を高める働きかけも大切にしたいものである。
参考・引用
1.デジタル大事典 自分の意志・判断で行動しようとする態度
https://www.weblio.jp/content/
2.文部科学省『幼稚園教育要領解説(平成30年3月)』フレーベル館、2018、pp.26-27