ある授業の中で、1人の学生から提出されたコメントを紹介しましょう。
「小さい頃は運動が好きだったのに、今は苦手になりました…泣」
なんとなく違和感を覚える表現だと思いませんか?
そう、言葉が対になっていない表現ですよね。
「小さい頃は運動が『好き』だったのに、今は『嫌い』になりました」
「小さい頃は運動が『得意』だったのに、今は『苦手』になりました」
このように、好きだった運動が嫌いになった、得意だった運動が苦手になったのではなく、好きだったものが苦手なものになってしまったと表現する背景には何があるのでしょう。
鬼ごっこで遊ぶ子ども達の多くは、追いかける方も逃げる方もみんな夢中で走り回っています。遊びの中にある「身体を動かす楽しさ」を感じながら、思いっきり運動を楽しんでいます。ほかの遊びでも同様に、身体を動かす遊び(=運動)を楽しんでいるはずですし、きっと体を動かす遊びの楽しさを通じて運動を好きになっていくことでしょう。しかし、いつの頃からか、運動に対する印象に変化が起こり始めます。運動の成果を誰かと比べられるようになり、追いかけたり逃げ回ったりしていたときの「走る」ことを、速い・遅いというものさしで他者と比べられた経験はありませんか。ボールをとったり投げたりすること自体が楽しかったはずなのに、○○シュートが上手にできる・できないと評価された記憶はありませんか。運動の成果が比較・評価され、それが必ずしも良いものではなかったことや、さらにその経験が何度も繰り返されていくことが、運動に対する「苦手」意識を生む一つの要因となっていると指摘する報告があります。
一方で、運動の成果が良かった経験の繰り返しによって、運動有能感や自己肯定感が高められていくことがあります。運動が得意であると感じる場面を通じて、「自分に対する自信」や「努力すればできるようになるという自信」、さらに運動場面で周囲の人から「受け入れられているという自信」をもてるようになっていきます。このように、運動の成果における良い経験がプラスの効果を生む場面もたくさんあります。 運動は苦手です…と答える人は決して少なくないのかもしれません。しかし、運動を苦手と感じる人であっても、四肢や体幹などの運動に支障がない限り、「走る」ことも、「跳ぶ」ことも、「ボールを投げる」こともできる、つまり「運動はできる」のです。運動の場面において、競い合うことに楽しさや喜びを感じる人もいますが、運動の楽しさはそれだけではありません。誰でも自分なりに「運動はできる」のですから、その中で自分なりの「運動の楽しさ」を感じることができれば、いつまでも「運動が好き」でいられるのではないでしょうか。保育や教育を学ぶにあたって、運動することは「楽しむこと」、運動あそびや体育の授業は「楽しさを伝えること」という視点で捉えてみませんか。いくつになっても「運動は好き!」と表現できるように…。