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「学校」、この不思議な存在―なぜ私たちは「学校」に行くのだろう?

投稿日:2022年06月09日

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 みなさんは、なぜ保育や教育を学びたいと考えているのでしょうか?

 私が大学で教育を学ぼうと決めた理由の一つに、高校生の時に「学校って何だろう?」という疑問に出会ったことがあります。

 「学校は誰にとっても楽しい場所ではない。」

 「学校以外にも子どもが学ぶことのできる場所がある。」

 今さら何を言っているの?と思われるかもしれません。しかし、このことを私が意識したのは高校生の時でした。それまでの私は「学校に行けば友達がいて、熱中できる部活動があって、学校は楽しい場所だ」という発想しかもち合わせていませんでした。友人を介してある出来事と出会うまでは。

 高校生活の半ば、友人が学校を中退するという決断をしました。友人は学校を休みがちではありましたが、私は、なぜ友人が学校に来ないのか、その理由をはっきりと知っているわけではありませんでした。だからこそ、友人の決断は、高校生の私に少なからず衝撃を与えました。私が抱いていた学校に対する「当たり前」の感覚がひっくり返った瞬間でもありました。そして、その後、高校ではない場所で学び続けた友人の姿から、私は学校以外にも学ぶ場所が社会にはあるということを初めて知ることになりました。

 「学校に行かなくても学ぶことはできるし、学校に行きたくないと思う人もいる。だとしたら、学校って何なのだろう?」

 コロナ禍での一斉休校を経験した今、私たちは学校教育が社会の中で果たしている役割や意義をあらためて見直すことになりました。子どもは、学校に行けなくなると、家の中にいるしかなく、大人は自分の仕事ができずに困ってしまうことが露わになりました。そして、大人と子どもがずっと家の中にいると、お互いに息を詰まらせてしまうことも明らかになりました。日常生活の中に学校という存在がどれほど深く関わっているのかを、コロナ禍の2年間で私たちは思わぬ形で実感してきました。

 私たちは、学校教育にわざわざ「なぜ?」という疑問を投げかけるなどということはしないと思います。しかし、学校教育には「なぜ?」と問いかけたくなることがたくさんあります。なぜ、学校教育は対面授業の方がよいとされているのでしょうか?学校以外にも学ぶ場があるとすれば、子どもたちは学校教育で何を学んでいるのでしょうか?大人は学校教育に何を期待しているのでしょうか?なぜ、学校に行きたくないと思う子どもたちがいるのでしょうか?なぜ、学校の先生は大変な仕事なのでしょうか?

 学校は、日常生活の中にあって当たり前の存在だからこそ、改めて問いの対象として見つめ直すと、今までとは違った学校の姿が見えてきます。保育や教育を学ぶ人には、いつもの学校生活に疑問を抱くことの面白さを知ってもらいたいと思っています。

こども心理学部

越川 葉子

越川 葉子
(KOSHIKAWA Yoko)

プロフィール
専門:教育学、教育社会学
略歴:立教大学文学部教育学科 卒業
立教大学大学院文学研究科教育学専攻博士課程前期課程 修了
立教大学大学院文学研究科教育学専攻博士課程後期課程 単位取得退学
立教大学文学部教育学科 助手
秋草学園短期大学地域保育学科 専任講師・准教授を経て現職

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