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固定観念を打ち破る-ピアノの指導から学んだこと-

投稿日:2025年11月06日

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 ピアノの指導者として、長年多くの子どもや学生にピアノを教えてきた。最初に、姿勢や手の形などピアノの正しい奏法や楽譜の正しい読み方を教え、次に楽譜通りに間違えないように弾けるようにするという順序で指導してきた。自分もその様に教わってきたので、その指導法に何の疑念も持っていなかった。 しかし、その様な指導法で育った多くの子どもは正しい手の形や楽譜の音を間違えないように弾くことに囚われてしまい、イメージをもって音を演奏することや、自分が出した音色を聴く耳が育たなかった。何よりも、自分らしく楽しんで表現するという、音楽にとって一番大切な「表現」からは程遠い演奏をするようになってしまった。
 演奏は自己表現である。クラシック音楽の場合は楽譜から作曲者の様々な意図を読み取って感じ取り、自分なりに表現したいことを楽器や声などの演奏技術を使って空間に再現していく。そして、コンサートでは聴衆は演奏者による作品のさまざまな解釈や表現を楽しむ。つまり、演奏者の表現力はとても大切な要素になってくる。演奏者の表現によって音楽作品に息が吹き込まれ、時代や国境を越えて感動を共有することができるのだと思う。
 しかし、日本人はその器用で真面目な性質から、楽譜に書かれている音を間違いなく演奏することには長けているが、自分らしい表現が少し乏しいのではないかと感じる。その要因の一つは、ピアノとの最初の出会い方に問題があるのではないだろうか。
 そのような時に出会ったのが、クラウス・ルンツェ(独1930~)の子どものためのピアノ導入教材「ちいさなピアニストのためのえほん」であった。どのページにも弾くべき楽譜はなく、音からイメージした子どもの描いた絵が載っている。ピアノという楽器を表現媒体として捉え、鍵盤はカッコウの声や山登りの道になったり、鐘の響になったりと様々な事象に例えられ、子どもは様々なイメージを音にして表現し、その音色を楽しむ。表現したい事象によっては手のひらを使ったクラスターで弾くこともある。絵を描いたりお話を作ったりして、先生や他の子どもたちとのコミュニケーションから自由にイメージを膨らませ、それを音にして演奏するのである。子どもはピアノで遊んでいるつもりであるが、勿論、指導者はそこに演奏に必要なテクニックを仕込んでいる。
 この様に、最初に自分がピアノの音で表現することを充分に楽しんでから楽譜を読んで弾くという順序で育つと、豊かな演奏表現をする子どもが育ったのである。大きくなってからも、楽譜のこの部分はどんなイメージで表現したい?と尋ねると、明確に答えて演奏するようになった。演奏する際には、自分で表現したい音色をイメージしてから音を創り出し、表現した音色を聴くという回路や主体的な表現力が育ったのではないか思う。
 今、初年度のレッスンでは、「今日はこのピアノは何にする?」という会話から始める。そして「怪獣ランド!」や「動物園!」といった子どもの返事を基に、「さて、今日はどのテクニックを忍ばせようか」と考えながら、私もピアノでのやり取りを楽しんでいる。子どもは音でのコミュニケーションを楽しんで響きを味わい、様々なことを表現することができる楽器なのだということを最初に体験する。
 物事との最初の出会い方はその後の考え方や観念に大きな影響を与える。だからこそ、指導者の役割はとても大事である。つい、自分が教わってきた様に教えてしまうが、何事も固定観念の打破は大切かもしれない。

固定観念を打ち破る-ピアノの指導から学んだこと-
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プロフィール

 ピアノの指導者として、長年多くの子どもや学生にピアノを教えてきた。最初に、姿勢や手の形などピアノの正しい奏法や楽譜の正しい読み方を教え、次に楽譜通りに間違えないように弾けるようにするという順序で指導してきた。自分もその様に教わってきたので、その指導法に何の疑念も持っていなかった。 しかし、その様な指導法で育った多くの子どもは正しい手の形や楽譜の音を間違えないように弾くことに囚われてしまい、イメージをもって音を演奏することや、自分が出した音色を聴く耳が育たなかった。何よりも、自分らしく楽しんで表現するという、音楽にとって一番大切な「表現」からは程遠い演奏をするようになってしまった。
 演奏は自己表現である。クラシック音楽の場合は楽譜から作曲者の様々な意図を読み取って感じ取り、自分なりに表現したいことを楽器や声などの演奏技術を使って空間に再現していく。そして、コンサートでは聴衆は演奏者による作品のさまざまな解釈や表現を楽しむ。つまり、演奏者の表現力はとても大切な要素になってくる。演奏者の表現によって音楽作品に息が吹き込まれ、時代や国境を越えて感動を共有することができるのだと思う。
 しかし、日本人はその器用で真面目な性質から、楽譜に書かれている音を間違いなく演奏することには長けているが、自分らしい表現が少し乏しいのではないかと感じる。その要因の一つは、ピアノとの最初の出会い方に問題があるのではないだろうか。
 そのような時に出会ったのが、クラウス・ルンツェ(独1930~)の子どものためのピアノ導入教材「ちいさなピアニストのためのえほん」であった。どのページにも弾くべき楽譜はなく、音からイメージした子どもの描いた絵が載っている。ピアノという楽器を表現媒体として捉え、鍵盤はカッコウの声や山登りの道になったり、鐘の響になったりと様々な事象に例えられ、子どもは様々なイメージを音にして表現し、その音色を楽しむ。表現したい事象によっては手のひらを使ったクラスターで弾くこともある。絵を描いたりお話を作ったりして、先生や他の子どもたちとのコミュニケーションから自由にイメージを膨らませ、それを音にして演奏するのである。子どもはピアノで遊んでいるつもりであるが、勿論、指導者はそこに演奏に必要なテクニックを仕込んでいる。
 この様に、最初に自分がピアノの音で表現することを充分に楽しんでから楽譜を読んで弾くという順序で育つと、豊かな演奏表現をする子どもが育ったのである。大きくなってからも、楽譜のこの部分はどんなイメージで表現したい?と尋ねると、明確に答えて演奏するようになった。演奏する際には、自分で表現したい音色をイメージしてから音を創り出し、表現した音色を聴くという回路や主体的な表現力が育ったのではないか思う。
 今、初年度のレッスンでは、「今日はこのピアノは何にする?」という会話から始める。そして「怪獣ランド!」や「動物園!」といった子どもの返事を基に、「さて、今日はどのテクニックを忍ばせようか」と考えながら、私もピアノでのやり取りを楽しんでいる。子どもは音でのコミュニケーションを楽しんで響きを味わい、様々なことを表現することができる楽器なのだということを最初に体験する。
 物事との最初の出会い方はその後の考え方や観念に大きな影響を与える。だからこそ、指導者の役割はとても大事である。つい、自分が教わってきた様に教えてしまうが、何事も固定観念の打破は大切かもしれない。

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