
皆さんは、「時間が溶ける」という表現を使いますか?
当たり前のように使っている方もいれば、聞けば意味は分かるけれど自分では使わないという方もいらっしゃるでしょう。
私はこの表現に出会った当初、「意味は分かるけれど使わないタイプ」でしたが、最近ではすっかり語彙の一部となり、「当たり前のように使うタイプ」になりました。いや、むしろ、この表現は心境にとてもフィットするもので、今ではかなりお気に入りの言葉です。
そこで今回のブログでは、このお気に入りの言葉について書いてみようと思います。
「時間が溶ける」という表現に初めて出会ったのは、2023年のことです。
え?!今は2025年なのに2023年の話を書くの?というツッコミが聞こえてきそうですが、この言葉との出会いは私にとって衝撃的な体験であり、今でもその感動が鮮やかに残っていて、ぜひ語りたいのでお付き合いください。
この言葉に出会ったのは、2023年当時の4年生との卒論指導の中でした。彼女は「遊び」と「推し活」をキーワードに、独創的な視点で卒業研究に取り組んでいた学生で、ゼミのたびに研究への熱い思いや調査結果の面白さを楽しそうに語っていました。彼女の卒論には「推し活で具体的にやっていること」という項目があり、その流れで推し活とSNSの体験について話したことがあります。
推しのSNSを見ていると、次々と興味をそそられる情報が現れて、見終わることがない、むしろ見終えることができないのだそうです。さらに、自ら情報を求めていくうちに、やめられなくなってしまうこともあるとか。その結果、膨大な時間が流れ去ってしまうのだそうです。話を聞きながら、私自身も何気なくSNSを見ていて、思いのほか時間の経過が早く感じられた経験を思い出し、「そうよね…SNSって、時間があっという間に過ぎちゃうことあるよね」と言うと、彼女がしみじみと「(今、自分は卒論を書き進めなくちゃいけない時期だから、SNSを見てたら書く時間が…)だめ、だめ、時間が溶けちゃう」とつぶやきました。私はそのとき、初めて「時間が溶ける」という表現を耳にしました。
「時間が溶ける?」
私は、一瞬にしてその表現を感覚で理解しました。「時間が過ぎる」とか「時間が経つ」といった自然な時間の流れではなく、「時間」という見えないけれど確かに感じられるものが、まるで消えてなくなるような感覚です。出会ったことのない表現なのに、何の違和感もなく、感覚的にしっくりと、まさにぴったりと気持ちに馴染みました。
この瞬間は、「意味が分かる」ということとはまったく異なる次元で、心情を含んだ時間の流れを表す言葉として理解した、衝撃的な経験でした。時間は消えてなくなるのだけれど、それは「無駄な時間を過ごす」こととは異なる感覚です。時間が溶けていく瞬間の行動には、無駄は存在せず、むしろ充実感や満足感があると感じるのです。
最近「時間が溶ける」という表現が私のお気に入りになっているのは、時間が消え去ってしまう感覚と、その時間をどう過ごしたかという自分を否定しない感覚を、絶妙なバランスで表現していると感じるからです。
たとえば、データ整理などに集中していると、時間の経過に気づかず、「なんだかお腹がすいたかも…」と時計を見ると食事時間をとうに過ぎていたり、見積もった作業時間を大幅に超えて作業が終わっていたりすることがあります。集中していると、時間の感覚がなくなってしまいます。集中が切れた途端に、「もう、こんな時間?」と驚くこともあります。そして、その集中していたことへの充実感を強く感じるのです。
この感覚は、「時間が溶ける」という表現にぴったりだと思うのです。
さて、この表現を私はかなり気に入ってはいるものの、一方で、日本語として文法的・表現的に正しいのか?という点では疑問もあります。きっとネットスラングから若者言葉へと進化し、一般化しつつあるものだろうと予想しながら、発生と意味を調べてみました。
しかし、どうにも確信を持てる情報には出会えません。現状では、このブログのように、皆さんがそれぞれの感覚で使っているようで、意味も多様です。ネガティブな方向で使われることもあれば、非常にポジティブな意味で「熱中する」というニュアンスで使われることもあります。どうやら、現時点では、日本語としての明確な説明ができない表現であることは確かなようです。そして、かなり広く浸透している言葉であることも確かなようです。
これを読んでいる皆さんは、「時間が溶ける」という表現を、どのように感じられますか?

