霜の降る月,11月。
卒論執筆に励む4年ゼミ生で研究室が一層賑やかになる。
「長男や長女ってしっかり者って言われるけど,出生順位とパーソナリティは本当に関連しているのかな?」「人やモノに依存しやすい人って,環境要因とか何らかのきっかけがあるのかな?」など,自分の経験から研究テーマを設定する学生もいれば,
「その仮説は偏ってるよ。極言,極論じゃないかな?その仮説は理論というより,主観に近いと思うな。」と,3年生の時から誰にも共感されない仮説を,最後まで貫き通して明らかにしようとする学生など,卒論のテーマ確定に至る過程はとてもおもしろい。
そんな中,今年は3年生にも4年生にも,「信頼される先生ってどんな先生だろう?」「好きな先生の授業はどうしてがんばれるのか?」「科目が好きだから先生が好きになるのか?それとも,先生が好きだからその科目が好きになるのか?」など,「信頼」に関心を示す学生が多い。
学生のディスカッションを聞いていると,ふと思う。
自分は信頼にあたる態度や信念を持ち合わせているだろうか・・・。
そして,これまで自分が信頼したあの先生方の,何が,信頼を生んだのだろう・・・。
ある学生は「信頼って,こころとこころの距離の近さかな」と言う。
「そもそもこころの距離って何?」と他の学生がたずねる。
「ちゃんと見てくれているっていう感覚かな?」とまた他の学生が意見を言う。
…信頼ってなんだ?とみんなが静かに考え始めたとき,
「嬉しいとき,悲しいとき,些細なことでも声をかけてくれる先生には,こころの近さを感じたな。」とまた別の学生が自らの経験について語る。
学生のディスカッションを聞いていると,また,ふと思う。
「信頼」について真剣に考えている学生たちは,すでに信頼される教師に近づき始めているんだろうな・・・。
この賑やかな声が聞けるのも,あと少し。
大人にやってもらった経験は,こどもとかかわるときの態度や信念の一部になっていく。
あのとき,無条件に可能性を信じてくれた先生方のように,卒論を書き終え,2024年春に卒業を迎える学生の可能性を信じ,この賑やかな時間を大切に過ごしていきたい。