
「あの人の髪の毛は短い。」
これは事実か,ただの意見か。
「目の前を走っているのは赤い車。」
これは事実か,ただの意見か。
先日,国語を専門とする教授が教えてくれました。
「髪の毛が短い」のは,ひとりの意見であって事実ではない。
「車の色が赤い」のも,ひとりの意見であって事実ではない。
形容詞で表現されることばはすべて,事実ではないかもしれない,と。
長いのか短いのか。
赤色なのか緋色なのか。
確かに,連続性のあることばは特に,どこからが長く,どこからが短いのか,どこからが赤色でどこからが緋色なのか,その見え方や感じ方は人の信念の数だけあるかもしれません。
では,事実とは何でしょうか…。
事実には,物理的事実や数学的事実,心理的事実などがあり,この世界に現実に存在している事柄のことを言います。しかし,厳密な定義は難しく,少なくとも実存・真理・客観性の概念に連なる概念であることに間違いはない(中釜,2014)ようです。
私たちは,正しいと信じる信念をもち,その信念は確かに存在していて真であり,時に客観性をも含んでいると確信しています。そしてその確信した信念をもって,日々,小さなことから大きなことまで意思決定を行い,行動しています。
しかし,その信念は常に事実と照合され,真に正しく客観的なものであり続けているでしょうか。
近年,生成系AIの著しい技術進歩により,多様で膨大な情報が溢れています。その中には実際には存在しない偽情報や誤情報が紛れている可能性があります。
また,存在しない人を信じ,存在しない状況に騙される特殊詐欺被害は後を絶たちません。
警視庁によると,預貯金詐欺や還付金詐欺などの被害は65歳以上に多い一方で,警察官を語って現金をだまし取る被害は30代が最も多く,次いで20代が多いようです。(高齢者のみならず,幅広い年齢層が真に存在しない状況を信じ騙されています。)
この時代に求められるものは,何が真に存在していて,何が正しいのかを見極める目,そしてそれは,情報だけではなく人の本質をも見極める目かもしれません。
(こどもを育てる,心を育てる保育・教育者は特に,この目はとても大切かもしれません。)
ではここで問題です。
相手を正しく捉え,本質を見極めようとする人は,人の何をよく見ているでしょうか。
目は口ほどにものを言う「目」でしょうか。
コロナ禍でマスク着用だと表情が判別できない,口元も重要な情報とわかった「口」でしょうか。
はたまた,顔以外の何かでしょうか。
続きは,次回…。
参考
中釜浩一(2014).事実とパースペクティブ 法政哲学,10,29-41.
警視庁特殊詐欺対策ページ 「令和7年5月末における特殊詐欺の認知・検挙状況等について(暫定値)」(https://www.npa.go.jp/bureau/safetylife/sos47/assets/img/new-topics/detail/250702/01/03.pdf)より

