
近年、AI技術(人工知能)が急速に発展し、保育の現場にもその活用が広がりつつあります。子どもの見守り機能や保護者との情報共有、保育記録や指導計画の作成など、AIは保育者の業務を効率化し、作業をスムーズに進める手助けをしてくれます。こうした技術の活用は、多忙な保育者の業務負担軽減に大きな力を貸してくれることでしょう。
しかし、私はその便利さの中に、保育において大切にすべきものが失われていく不安を感じているのです。
保育は、目の前の子どもを深く理解しようとすることから始まります。子どもがどのような気持ちでそこにいるのか、何に心を動かされ、どのような関わりを求めているのか、そんなことを考えながら、保育者は日々の生活の中で、見えたこと感じたことをもとに明日の保育を描いていきます。一人ひとりの子どもが少しでも自分らしく過ごせるよう、保育者は試行錯誤を繰り返しながら、子どもの姿に応じた関わりや環境をつくり出していくのです。ときに泣いたり、癇癪を起こしたり、ただ黙って佇んでいたり…そんな一つひとつの子どもの姿には、その子どもなりの思いが込められています。しかしそれが何かはすぐにはわかりません。だからこそ、考え、悩み、心を寄せて向き合おうとする、その姿勢こそが保育の原点だと思います。
昨年(2024年)11月、日本乳幼児教育学会の研究大会の中で「AIが立てる保育の指導計画の可能性と課題」をテーマにしたワークショップが開かれました。このワークショップでは、指導計画の「保育者の援助」と「環境の構成」の一部が空欄になった“未完成の指導計画”をアプリに読み込ませ、不足している内容をAIに生成させるという試みがおこなわれました。私もその会場に参加し、期待と疑念が入り混じる思いでその様子を見守っていました。すると、AIはわずか数秒で、それらしい指導計画を画面に映し出しました。その瞬間、私を含め会場からは驚きの声があがりました。しかし、それも束の間、そこにいた保育の専門家たちは次々と違和感を指摘し始めました。「子どもの実際がわかっていない」「言葉は整っているけれど、どんな思いでこの援助をしようとしているのかが伝わってこない」などというものでした。
このときAIが読み取ったのは、実際には存在しない子どもの姿を“文字のみ”で表した架空の指導計画です。無機質な架空の計画でさえも違和感が生じるのに、様々な個性を持ち、日々変化しながら“生きている”子どもたちが対象である実際の保育において、AIは子どもたちの姿や思いを、本当に理解することができるのでしょうか。その疑問は私の中に強く残りました。
保育は、一人ひとりの子どもとの出会いによってつくられていきます。どんなに似たような状況に見えても、それぞれの子どもの思いや背景は同じではありません。目の前の子どものために考え応答していくこと、そしてそれらを積み重ねていくことこそが保育者の専門性です。
保育者を目指す皆さんには、どうか、自分で考えること、悩むこと、問いを持ち続けることをやめないでほしいと思います。今日の子どもの姿から、明日をどうつくるかを考える営みは、どんなに非効率に見えても、子どもとの関係性を築き、子どもの育ちを支え、さらには自分自身の成長にもつながる大切な時間です。子どもとのやりとりや、その体験をもとに綴る言葉の一つひとつ、たとえば保育記録や指導計画にも、AIには決して生み出せない保育者の思いやまなざしが込められているはずです。そして、忘れてはならないのは保育者自身もまた、個性をもった一人の人であり唯一無二の専門家であるということです。だからこそ、迷いながらも、自分の目で、心で、保育を紡いでいってほしいと思います。