私は現在の仕事に就く前は幼稚園教諭として働いていました。今は大学でかつての私の経験を伝えることで、学生が少しでも保育職のやりがいや魅力を感じ、保育の道に夢と誇りを持って進んでいってくれたらいいなと思っています。ただ…保育職の魅力ややりがいについて改めて自分に尋ねてみると、その答えをうまく言い表せない自分がいるのです。
一般的によく聞く保育職の魅力ややりがいは、「子どもの成長に立ち会えること」のようです。たしかに私も真っ先にその言葉が思い浮かぶのですが、なんだか私の中にはこの言葉では収まらない別の感覚があるのです。
私がはじめて保育の場に接したのは、大学3年生の時、幼稚園での5日間の教育実習でした。そこには、圧倒されるほど自分の感情に素直に生きている子ども達がいました。
ある日、4歳の子どもがおままごとで使うお箸の色で揉めていました。互いに自分の主張をぶつけ合いますが、一向に解決の気配はなく、その日の遊びの時間は終わってしまいました。
片付けが終わると、担任の先生はクラス全員を集めて輪になり、AちゃんとBちゃんに「さっきのこと、みんなにお話できる?」と穏やかに尋ね、二人にみんなの前で話をする機会を設けました。二人はつたないながらも自分の気持ちや状況をみんなに話しました。そして担任の先生は、今度はクラス全員に「こんなときみんなだったらどうする?」と尋ねました。子ども達は「長い針が5になったら交代したらいいんじゃない?」「赤いお箸と青いお箸1本ずつ交換して使う!」と自分の考えを次々に出しました。担任の先生は、「教える」のではなく、子どもが自分で気づき考える機会を与えていました。そしてクラスメイトの悲しみや苦しみを他人事としない温かな関係性を作っていました。子どもは未熟で大人が教えないと何もできないと思っていた当時の私にとって、子どもが自分の意見を伝え合う姿やそれを支える保育者の姿は驚きそのものでした。
そんな実習の最終日、私はもう一人の実習生と一緒に、「にじ」という絵本の読み聞かせを、ピアノと歌で子ども達にプレゼントしました。演奏が終わると一人の女の子が私のもとにやってきて「涙が出そうになっちゃった」とぽつりと言いました。
想像もしていなかった子どもの豊かな感性に私はまたもや驚き、改めて子どもは未熟な存在ではなく、立派に生きる「人」である、そう実感したのです。
それから時は経ち、私は幼稚園教諭になり、子ども達とたくさんの時を過ごしました。子ども達はいつも全力で、純粋で、正直でした。何の見返りも求めず思いやりを持って人と関わる姿、諦めずに何度も挑戦しようとする姿、自分を素直に表現する姿、人を信頼し受け入れる姿、そして悩み葛藤する姿…そんな子ども達の姿は、忘れかけていた「人」としての原点に気づかせてくれ、「人」としての在るべき姿を示してくれました。
「教師」として子どもを教え導く存在であらねばと思っていた私は、反対に子ども達から「人」としての大切なことを教わりました。そして、日々懸命に生きる子ども達に私が「教える」ことなどほとんどありませんでした。私にできることは、子ども達がこれから先自分の力で強く生きていけるように、影となり日向となりながら支え援助していくことでした。
こうして子ども達と過ごした日々を改めて振り返ってみると、冒頭に書いた保育職の魅力ややりがいは何かという問いに対する私なりの答えがなんとなく見えてきたような気がします。
私にとっての保育職の魅力ややりがいは、「子どもの成長に立ち会えること」ではなく、「子どもとともに『人』として成長し合えること」なのだと思います。