誰にでも、苦手な人や嫌いな人がいるのではないでしょうか。たいていの人は、自分の気持ちを隠しながら、相手と「うまく」やっていこうとするでしょう。ですが、苦手な人や嫌いな人との関りはストレスになります。苦手意識や嫌いな気持ちが強ければ、それは尚更です。
ストレスを感じると、脳内で神経を興奮させるノルアドレナリンという神経伝達物質が過剰分泌されます。すると、それは怒りや不安を司る脳の部位である大脳辺縁系に伝わり、怒りや不安、恐怖などを感じさせます。相手との関りがストレスになればなるほどこのような状態に陥りやすくなるため、私たちがネガティブな感情状態になるのはある程度は仕方がありません。
嫌な気持ちは、私たちの認知にも影響を及ぼします。自分がネガティブな気持ちになったときに、私たちはその原因を求めるものです。つまり、「こんな気分になっているのは相手のせいだ」と。この原因の求め方が厄介であり、時には自分から相手の苦手や嫌な部分を積極的に探しに行こうとします。たとえば、嫌いなクラスメイトがグループワークで発言をしました。その時あなたは、「余計なことを発言して」と思うかもしれません。そして、自分の意見を語る姿は、「出しゃばりだからすぐ話したがる」と映るでしょう。同時に「またか」と、別の似たような場面を思い出しやすくなります。このように、話をせずに見ているだけでも、自分にとって嫌な相手の嫌なところを再確認し、「やっぱり嫌な子」という確証を得ているのです。
この「確証=思い込み」は、それが事実であろうとなかろうと生じるものであり、差別につながりやすい認知的思考であることがわかっています。グループワークで「でしゃばりだから余計なことを発言する」という認識は,すべてが事実なのでしょうか?この場合、「発言をする」は事実です。ですが、「でしゃばり」と「余計なこと」はどうでしょう?あなた以外の多くの人が同じように思うでしょうか?また、ほかの誰か、たとえば親しい友人が同じ内容を発言したときに、「でしゃばり」や「余計なこと」と思うのでしょうか?
私たちが認識している世界は、自分が見たいように物事をみて解釈した「心理的世界」であり「心理的事実」といえます。そのほとんどが,誰の目から見ても客観的な「事実」であり「真実」であるとは限りません。苦手や嫌いな相手と関わるときには、脳内が自動的にネガティブモードになってしまうこと、また、その際には、苦手や嫌な部分を自分から探して、かつ自分の都合のよいように解釈しやすいことを知っていただければと思います。そうしたことを知ることで、相手に対する見方や自分と相手との関係性にちょっとした変化が生まれるかもしれません。