なぜ私たちは歴史を学ぶのでしょうか。私が専門とする歴史学は過去を対象とする学問ですが、過去そのものに意味があるわけではありません。私たちが生きる現在、ひいては未来にとって意味があるから歴史を学ぶのです。
歴史を暗記科目として捉えている人が多いように思いますが、それは本来の歴史の学び方ではありません。歴史を学ぶということは、歴史的事実を知ったり、歴史用語を覚えたりすることではないのです。少なくとも、大学で学ぶ歴史学はそのような立場に立っています。もちろん、私は過去の歴史そのものに興味を抱いて歴史を学ぶことを否定はしません。それはそれで一つの歴史の学び方であり、教養を身につけることにもなるでしょう。ただ、私が歴史学者としての立場から勧めたいのは歴史学的な学びであり、実際、大学での授業もその立場から行うことになります。
歴史を学ぶということが、かりに歴史的事実を知ったり、歴史用語を暗記したりすることであるとすれば、コンピューターに勝る人間はいないでしょう。何より、それらは歴史の教科書をはじめ、辞書や専門書などに記されています。特段覚える必要はないのです。大切なのは、歴史に学び、現代、さらには未来をよりよく生きるための教訓を得ることです。その意味では、歴史学は現代学であり、未来学としても捉えることができます。
人はなぜ学ぶのか、と問われれば、私なら、人は幸せになるために学ぶのだ、と答えます。各種の資格を得るためとか、職務上必要であるからとか、様々な回答があるでしょう。しかし、詰まるところ、できるだけ幸せに生きたいから、人は学ぶのではないでしょうか。現代社会は平穏に見えながらも、様々な困難を抱えています。貧困や不平等、災害発生時の復興、さらには戦争なども該当します。そうした問題を克服し、よりよく生きていくためには、ゼロベースから考えるよりも、過去の歴史に学ぶことが有用です。古代ローマの歴史家クルティウス・ルフスは、「歴史は繰り返す」(History repeats itself.)と述べましたが、確かに人間は長い目で見れば同じようなことを繰り返し行ってきました。そうであるからこそ、時代は違えども、現代社会が抱える困難と同様の困難を過去の人々が経験し、克服してきた歴史もあるのです。歴史に学べることは多くあります。過去の歴史を顧み、良き点は装いを新たに現代社会にどんどん活かしていきたいものです。そのことが、人がよりよく生きること、ひいては人類の成長にも繋がると私は信じています。
高校生の皆さん、上記のような観点から、本学で私とともに歴史を学んでみませんか。