皆さんはエスカレーターを利用する際に「立ち止まる」派ですか?「歩く」派ですか?
2名が並べる幅のエスカレーターを利用するには、「右側で立ち止まる」「左側で立ち止まる」「歩く」「走る」などがあります。エスカレーターは階段よりも楽に昇降できるものです。立ち止まる人にしてみれば、体調不良や体の不自由さで階段の昇降が難しいためにやむを得ずエスカレーターで立ち止まるという人もいるでしょうし、体を支えるために左側もしくは右側にしか立てないという人もいます。逆に、少しでも急がなければならないという気の急く理由からやむを得ず歩いたり走ったりする人もいるでしょう。どのようにエスカレーターを利用するかは、逆行したり座り込んだりするなど他人の迷惑になる行為や危険な行為をしない限り、本来、利用者の自由であったはずです。とはいうものの、利用者の自由にまかせた結果、エスカレーターで「歩く」「走る」を選択した人が自分でつまずいたり、他人にぶつかったりして「立ち止まる」を選択した人にもケガを負わせてしまったり、走った衝撃でエスカレーターが緊急停止して多くの人が転倒したり、事故が各地で発生して利用者間の対立は深刻な社会問題になりました。
「政治」には、世の中の多様な価値観を調整するという重要な役割があります。埼玉県ではエスカレーター利用者間の対立の激化を抑えるため、令和3年10月1日に「県エスカレーターの安全な利用の促進に関する条例」を施行し、エスカレーター利用時に「立ち止まること」を「利用者の義務」と初めて規定しました。政治権力を行使して、エスカレーターで「歩く」「走る」を選択する自由を制限したのです。この条例は、エスカレーターを歩くことの危険性を広く世に知らしめ、利用者に革命的な意識改革をもたらすことにもなり、一定の成果があったといえるでしょう。その反面、多様な価値観の中から「立ち止まる」ことを選択する人のみを優先的に保護したために、少しでも急ぎたいという人のイライラを高めて新たな衝突を生んでしまう危険性もでてきました。また、県外であっても、エスカレーターで歩いている人に対して、それがたとえ周りを注意しながら歩く人であっても、ステップの中央に立って堂々と歩行の邪魔しようとする人まで見かけるようになり、思いやりのない状況も生まれるようになりました。一方の利益に偏った政治権力の行使は、革命的なものであるほど、新たな対立や分断を生んでしまう弊害があることも忘れてはなりません。
条例化するにしても、エスカレーターの安全利用の意識改革を促すことだけを考えれば、「立ち止まる人」「歩く人」双方に思いやりを促す内容で意識改革を促す方法もあったはずです。例えば、エスカレーターを利用する際には、①立ち止まるにせよ、歩くにせよ、利用者はすべてスマホなどから目を離して周囲に気を配る、②健康な人、道を譲る行動に支障のない人はすべて「歩く人」に道を空ける、③上記①②をすべての人が守っているという前提に立てば(意識づけが目的ならば「立ち止まる人」が皆、善意で行動すると考えるだけで十分でしょう)、「立ち止まる人」が道をふさいでいれば、見た目にはわからなくても、何らかの理由があるのだから、それを「歩く人」が追い詰めるような行為をしてはならない、④「歩く人」は、追い越し可能な際にも「立ち止まる人」に細心の注意を払い、ゆっくりと追い越すようにする、というのも一案です。
多様な価値観を尊重する社会は、互いに優しい社会でもあります。条例や政治の介入なしでもエスカレーターを皆で安全に利用できるような社会になってほしいものです。