人生を振り返ってみると、思い通りにならなかったこと、回り道をしたと思うことがたくさんあります。アメリカで大学院に在籍していた時、高校時代の友人が就職し、順調に昇進していく中で、一人学生でした。取り残されている感覚があり、卒業後の進路も見えず、本当に大学院に進学してよかったのかと何度も思いました。
博士課程を終了後、アメリカでは外国人でしたので、ビザの問題があり、なかなか就職することができませんでした。日本語学校、学習塾の講師、日系メディアの会社の経理など、大学院で学んだことを生かせる職場になかなか就職できませんでした。
その後、公立の高等学校の日本語担当教員を1年ほど勤め、大学の日本語担当の非常勤を経て、日系バイリンガルの小学校プログラムコーディネーターとなりました。この仕事は、大学での研究と経験を生かせるものでした。しかし、連邦政府の助成金よるプロジェクトの仕事で、期間が3年間でしたので、継続できず、終了しました。
小学校のプロジェクト終了後は、日系のNPOの事務局長を3年勤めました。新渡米者の会で、日本人の様々なサポートをしました。事務局長をしていた時は、総領事館でのパーティーに呼ばれたり、日本の政治家の表敬訪問を受けたりと普段なかなかできない経験をしました。色々と学びになり、とても有意義でしたが、自分の専門を生かせる職場ではありませんでした。
このままでいいのかと何度も考えることがありました。そんな時、とある芸術家の人が、「人生は無駄な時間が大事なんだ。そこから生まれるものがたくさんある。そして、結局は無駄な時間ではない」ということをおっしゃっているのを聞き、そうなのかなと思いました。
縁があって、東京未来大学に就職し、やっと「無駄な時間」の意味がわかりました。様々な仕事で経験したことが、現在とても役になっています。例を一つ上げると、日系メディア会社で働いていた時、契約書を確認していました。東京未来大学がニューヨークの大学で短期留学プログラムを実施した時、英語の契約書が読めることが、とても役に立ちました。様々な職場経験は、現在講義の中でとても役に立っていることを実感しています。
「無駄な時間は、結局無駄でない」とは、車のハンドルやブレーキの「あそび」と同じで、人生に必要なものです。車の「あそび」は安全に走行するために必要で、大切です。「無駄な時間」も同じく人生の大切な「あそび」の時間なのです。
そして、コロナ禍で、改めて「無駄な時間」の大切さを実感しました。何気ない授業やゼミ後の学生との会話、会議の前後の同僚教員との会話は、とても意義のあることと再確認しました。
振り返ってみると、「無駄な時間」、回り道と思った「あそび」は、私の人生に必要だったのだと思います。すべてのピースがはまってやっと絵がわかるジグソーパズルのように、すべて大切なピースだったのです。絵が見えるまでは、不安でいっぱいですが、その過程の時間も大切なんだと思います。
みなさんもぜひ「無駄な時間・あそび」を大切にしてください。