学生時代に読んだ徳田安俊先生の「青年心理学入門」の冒頭に、コールとホール(Cole,L. & Hall,I.N.)の『青年の心理学(Psychology of Adolescence)』から次のような文章が引用されていました。
「このごろの若者は贅沢になった。礼儀作法を知らないし、目上の人を尊敬せず権威に逆らう。子どもたちも甘やかされている。子どもらは部屋に年配者が入ってきても席を譲ろうとしない。両親に口答えし、来客の前で騒がしくしたり、不作法な食べ方をする。そして先生に対しても横柄である。」
表現は堅苦しく権威的ですが、今でもよく耳にする内容です。しかしこの言葉、紀元前4世紀のソクラテス(Socrates)のものであるとしたらどうでしょう。驚くとともに時代が変わっても年長者から若者に対する嘆きや不満は変わらないということが伝わってきます。
2400年前のソクラテスの言葉に今も頷くとともに、私の頭の中にちょっとした疑問が浮かんできます。その言葉の意味内容ではなく、その言葉を用いている年長者(私自身を含めて)も以前は「若者」と呼ばれており、自らも年長者から「このごろの若い者は・・・」と言われていたということです。さらに、「人間は成長しているのか」などと無知をさらけ出すような疑問を持ってしまいます。
実際、なぜ「このごろの若者・・・」という言葉が繰り返されるのかについてははっきりしたことはわかりません。青年期にある「若者」が時代とともに変化してしまったのか(当然、文明の進歩に伴い私たちの人間観・価値観は変化しています)、それとも大人たちが自らの青年時代を忘れてしまったのか、それ以外の要因によるものなのか・・・。「若者」は自分も「若者」であった過去を持つ年長者たちにとっても不可解な存在であり、理解できない側面をもっているのも確かで、「このごろの」は時代を超えた普遍的な「あいことば」なのかもしれません。
人間は昔から人間自身について学び、探求し、多くのことを科学的に解明してきました。今でも科学だけでは解明できない人間の謎について各々が思索をめぐらすことは、自身の成長にもつながるはずです。特に人々が共通して持つ単純な疑問ほど人間自身にとって重要な課題なのかもしれません。