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未来をみつめるということ~時間的展望~

投稿日:2022年07月20日

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「わたしは、けーきやさんになりたいです」、「てんとうむしになりたいです」、「ぼくは、『おはな』になりたいです」

 ある幼稚園のお誕生会で、将来なりたいものについて、こどもたちが壇上でインタビューをされていました。なんとも可愛いらしい答えで、聞いているこちらも、つい顔がほころんでしまいました。

 ところ変わって、ある1限の授業の際、学生に自分が望むことや、希望を尋ねるワークを行っていました。(※以下の発言は、実際の発言とは文意を損ねない範囲で、一部内容を修正しています。)

「将来はバリバリ働いていたい」、「◯◯の資格をとりたい」、「まだわからない」、「いまは考えられない」、「イベントで成績を残したい」、「たくさん眠りたい」

 これは、あえて、将来のこと、進路のことを尋ねるものとは告げずに取り組んでもらいましたので、現在の素直な「希望」があらわれていると思います。これを見守る私は、時に感心したり、不安になったり、本気で心配になったりもしました。(「たくさん眠りたい」は、1限ならではの願望かもしれません。)

 さて、話は変わりますが、最近、私の恩師が定年退職をされました。ある分野の研究を長きにわたり牽引されてきた先生ですし、まだまだエネルギッシュでいらっしゃるので、退職後も、どこかの研究機関で研究に取り組まれるのだろうと、予想をしていました。しかし、4月になり、先生は、アカデミックポストには就かず、「旅に出ます」と、軽やかに、リスタートされました。私は、このご決断に大変驚くと同時に、先生らしいな、とも感じました。

 私は、この恩師の旅立ちに際して、時間的展望(time perspective)ということを考えました。この概念は、「ある一定の時点における個人の心理学的過去および未来についての見解の総体」(Lewin, 1951 猪俣訳1979)とされています。これには、現在、過去、未来の各側面が含まれ、さらに、未来は、希望と目標指向性の2つの側面からとらえられます(白井,1994)。

 「未来」に着目した際に、「残された時間が少ない」と悲観するのか、限られた時間の中で、精一杯何かに取り組もうとするのか、ここに大きな分岐点があるように思います。「残された時間」の意味は、青年期の学生であれば、卒業するまでの時間、就職活動に取り組む期間といったことを指すでしょう。その時の中で、無邪気な夢を語っていた幼き頃とは異なり、社会で生きていく上での選択を迫られ、自分の中の可能性を見出す一方、思うようにはいかない「現実」に直面することもあるでしょう。そのプロセスにおいて、目的を見つけ、達成しようと行動することは、青年期の課題でもある「アイデンティティ」の形成においても、重要な意味をもつと考えられます。

 一方、高齢者にとっては、加齢現象や生命体としての有限性といった点からも、「残された時間」の意味は、より重いものになると思われます。その時間と向き合う際、もしかすると、ただ単に未来だけを見つめれば良いということではなく、これまでの人生を振り返り、良かったことも、そうではなかったことも含めて、これが「自分の人生」なのだと、受け入れることが必要なのかもしれません。これは、Erikson, Eが示した高齢期の発達課題である「統合 対 絶望」に通じると思われます。残された時間を考えると、もうやり直すには時間が足りません。そこに悲観して絶望をするよりも、受け入れて時を過ごしていくことが、目的を見出すことや、未来に希望を見出すことにつながるのかもしれません。

 恩師のおっしゃった「旅」が真に意味することは分かりませんが、私も、「旅に出たい」(旅行です)、そんなことを考えながら、この原稿を書いています。

Lewin, K. (1951). Field theory and social science.  selected theoretical papers. New York: Harper. (Lewin, K.
  (猪股佐登留, 訳) (1979). 社会科学 における場の理論 誠信書房) 
白井俊明(1994). 時間的展望体験尺度の作成に関する研究 心理学研究, 65, 54-60.

モチベーション行動科学部

島内 晶

島内 晶
(SHIMANOUCHI Aki)

プロフィール
専門:高齢者心理学、生涯発達心理学
略歴:明治学院大学大学院心理学研究科博士後期課程修了。
地方独立行政法人東京都健康長寿医療センター研究所(旧、東京都老人総合研究所)研究補助員および研究生、
群馬医療福祉大学社会福祉学部福祉心理コース准教授を経て、現職

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