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心の科学に求められる客観性の意味

投稿日:2023年10月26日

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 今年の夏休み,旅先で9歳の娘が熱を出しました。
 プールで大はしゃぎをした前日から一転,みるみる体温が上がって,なんと40度!症状からすると季節外れのインフルエンザだろうと思いつつ,新型コロナウィルス感染症か,他の感染症かと私の頭の中は不安でいっぱい。私の不安そうな表情と自宅とは違う空間であることが娘の不安も増幅させたのか,弱々しい声でこんなことを聞いてきました。
  娘「お母さん,私,死ぬの?」
  母(私)「死ぬわけない…とは言えない。けど,たぶん大丈夫。」
  娘「え~~?!それ,大丈夫って言うの?!」
 娘にとっては,なんと説得力のない「大丈夫」だったことでしょう。『インフルエンザの致死率はどれぐらい?関連死を含めると1万人ぐらいとか聞いたことがあるな。いや,それは全年齢を込みにした数値だ。そもそもインフルエンザじゃないかもしれないし。』などと,数値や事実をもとにした客観性に対するこだわりが頭の中で渦巻き,「死ぬわけないでしょ」と言い切ることにためらいをもたらしてしまいました。
 私が専門としている心理学は心の科学と言われます。それは,心理学が,普遍的法則を実証する科学の手法を用いて,目には見えない心の状態を観察可能なものに変換し,心を客観的にとらえようとする学問であるためです。言い換えると,心の状態や行動を質問紙調査や実験,検査等で測定して数値化したデータを統計分析します。統計分析を用いない方法であっても,誰もが理解,納得できるように発言や行動を記述するよう心がけます。
 しかし,心理学の研究の対象者の多くは人です。測定・記述される指標以外の情報をたくさん持っており,時にはそれを体から発しています。例えば,直前に電車の遅延に巻き込まれた人はイライラした気持ちで実験に参加しているかもしれません。実験に集中できず,体の位置を変えたり,表情がこわばったりしているかもしれません。そのような測定・記述された指標以外の情報が結果に影響を及ぼすこともあります。研究者も人なのですから,何か様子のおかしさを感じ取ることができるはずです。さらに言えば,得られたデータを解釈するのも人(研究者)です。つまり,「経験」や「感覚」に基づく主観的な視点を大事にしつつ,客観的なデータを適切に解釈することが心理学には求められていると思っています。
 さて,冒頭の話に戻ります。
 娘は,高熱のわりには,空腹を訴えてゼリーやフルーツを食べ,水分も取り,おしゃべりをして,2歳年上の兄に体調の悪さを当たり散らしていました。これだけ体から発する情報を十分得ていたのですから,データだけにとらわれず,主観的な経験も大事にして,何より母親として子どもの不安を取り除くべく,「死ぬわけないでしょ」と伝えるべきところでした。帰宅後,病院で「インフルエンザA型」と診断され,薬が処方されるとあっという間に娘は回復しましたが,翌日には息子が,その翌々日には私もインフルエンザで高熱に。
  母(私)「お父さんにうつさないように,あなたの横で寝ていい?」
  娘「え,嫌だ。お母さんは別の部屋で寝て。」
  これって,客観性へのこだわりが招いた娘からの仕返しですよね?

 ※この記事を面白いと思ってくださった方へおすすめの図書です。
 村上靖彦(2023)「客観性の落とし穴」ちくまプリマ―新書

モチベーション行動科学部

磯 友輝子

磯 友輝子
(ISO Yukiko)

プロフィール
専門:社会心理学
略歴:日本大学国際関係学部および名古屋大学文学部を卒業。
大阪大学大学院人間科学研究科博士前期課程修了、同大学院博士後期課程単位取得退学。
同大学院助手として務めたのち、東京未来大学こども心理学部専任講師として着任。
こども心理学部准教授ののち、現在に至る。

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