挑戦したからこそ見えたもの

ITOU KIU & KOSHIO KUON & KASAMATU TATHUKI
こんにちは!FOCUS編集部です。
今回はMIRAIFES.2025競技リーダー長の小塩玖穏さん、笠松樹さん、伊藤希生さんに、仕事内容や挑戦したきっかけについてインタビューをしました。
Profile
伊藤 希生&小塩 玖穏&笠松 樹
伊藤 希生
モチベーション行動科学部3年
赤団競技リーダー長
小塩 玖穏
こども心理学部
こども保育・教育専攻3年
青団競技リーダー長
笠松 樹
こども心理学部
こども保育・教育専攻3年
黄団競技リーダー長

Table of contents
競技リーダー長としての仕事
一歩を踏み出したきっかけ
挑戦を経て
読んでくださった皆さんへ
競技リーダー長としての仕事

競技リーダー長としてのお仕事を教えてください。

伊藤さん
名簿作成や走順の検討だったり、競技者グループに実行委員からの情報を下ろしたり、その情報の不明点を答えたり実行委員に確認をしたりしていました。

競技される方と実行委員の橋渡しのような役割ですね。

小塩さん
競技選択時点でどの競技か希望を取ってるので、それを答えてねっていうのを流したりとかもしていました。

一歩を踏み出したきっかけ

なぜ競技リーダーの仕事をやってみようと思ったのかを教えてください。

小塩さん
僕は、まず最初に競技リーダーをやった去年の時は、何かしらのリーダーをやってみようと思ったから。去年のリーダー長がまとめてくれる姿を見て、今年は自分もこうなりたい、こんなふうにできたらいいなと思いました。

笠松さん
俺は、リーダーをやるかどうかすら悩んでいたんですけど、クラスに個性的な人が多く、俺じゃないとだめだと思い話し合って自分に決めてもらったんです。
やるからには自分で動かせた方がいいと思い、「こういう風にしたいです。」って風に話したらみんなが支持をしてくれて、成り行きもありつつですけどリーダー長をすることになりました。

伊藤さん
俺はそんなに深い意味はないんですけど、楽しそうだったからですね。去年も競技リーダーをしていた上で、自分と同じモチベーション行動科学部で競技リーダー長をしていた先輩の走る姿や熱量が、すごく楽しそうだったんです。

競技リーダー長という人の上に立つ立場に立候補するのは、かなり勇気が必要な決断だったと思いますが、何かきっかけはありましたか。

伊藤さん
リーダー長をやるって考えたときに、教職課程を取っているので授業や課題が多くて大変なのはわかってたんです。
それでも自分がやりたいと思ったことなんで、他の人の意見は関係ないというか、自分のやりたいことだから最後までやるしかないという気持ちでしたね。

笠松さん
俺は、リーダーやるからにはその長を、みたいなところが結構大きかったですね。自分がリーダーをやるにあたって自分たちで一番盛り上がれる一番いい形にできるっていう風に思った。
それにMIRAI FES.に参加するのが最後というのもあって、クラスの中心メンバーが去年から一緒だったりもして、去年は呼びかけても練習に来てくれないことがあって若干後悔が残ってたんですけど、今年は関係が深まってきて練習に来てほしいと言ったら練習に来てくれたりしました。その上で、自分でみんなが楽しめるように競技を組んでいって本番を迎えられたらいいなという想いはありました。

小塩さん
僕は競技リーダー長はやれるものならやってみたいと思っていて、その意気込みを固めていざ申し込んだらスムーズに通ってびっくりしました。僕は今年出店、パフォーマンス、競技の全部をやっていて、しかも出店のサブリーダーもやっていました。なので、競技リーダー長にはならなくてもいいかなというマインドではあったんです。
だけど、他の2年生の子とかが「リーダー長は難しいけれど、やることを与えられたら助けるよ。」って言ってくれたので、それに全力で頼る気で行こうみたいな感じでした。その中で1年生の子に色々教えて来年も継続してやってくれる子がいてくれたらうれしいなという想いで。とにかく自分が感じた先輩の憧れた背中っていうのを引き継いでいけたらなって思って立候補しました。

挑戦を経て

競技リーダー長という立場に挑戦して、自分の中で成長したところがあれば教えていただきたいです。

小塩さん
まず僕は色々やってて忙しいのはあるんですけど、スケジュール管理がダメダメだったので、そこら辺の至らなさを思い知らされましたね。身についた力で言うと、人前に出るときに緊張しなくなりました。
DAY0の時もそうだし、体育祭の最後にインタビューを受けたりして。インタビューを通していろんな人から反響をもらってて、どうせ僕の声なんて聞いてないんだ。じゃなくて、聞いてほしいんだっていう気持ちで話しかけることを大切にしていこうって思いましたね。

笠松さん
人とうまくやる力ですかね。なんだろうな、求めすぎないというか、自分にも限界があるし、相手も人なのでしょうがない部分はあるかな?というのを少しずつ許容できるようになったかなと思います。あとは無茶ぶりというか、急なことに対応する力は身につきましたね。

伊藤さん
いろんな人からこれやってとか、これ何日までとかLINEが来るので、自分の中での管理能力とかが結構上がったかなって思います。あとやっぱ最後までやりきる力とか。やるって決めたことは最後までできると思うし。あとは何だろう対応力。本当に急に来たりトラブルが起きることもあるんで。人として成長できたっていうのは実感できる。本当に成長したなと思います。

競技リーダー長の立場で、周囲の人に助けられたことはありましたか?

小塩さん
僕は競技に関しては1人で着々と進めていて、頼るのって難しいなってのを感じてたし、パフォーマンスと出店もやっていて途中から出店サブリーダーを辞めたいとまで言ってましたね。その中でもCAの先生や他のリーダーと、「競技リーダー長をやっているから、こっちはできるけどそっちは参加できない」みたいな兼ね合いのことでひたすら話し合いを重ねていました。
後は、パフォーマンスよりも競技練習の方をどうしても優先してしまうことになるので、パフォーマンスの練習回数が減ってしまっていたんですけど、衣装作りの合間に振りつけの確認をお願いしたり、配置の調整をしてくれたりしました。3つのコンテンツを全部やるのは本当に大変だったんですけど、各コンテンツの仲間の支えがあったおかげで、何とか成し遂げられたかなという感じがしています。

笠松さん
一番は補充に入ってくれた競技の人たちですかね。頭数が揃ってないと競技は成立しないので。俺がこの競技に人がいないです。ってLINEしたときに反応が返ってきたときは嬉しかったです。
あと実行委員の子がここどうなってる?とかの確認を逐一してくれて、リスケが苦手な俺は助けてもらったかなと思ってます。
あとはリレーに出た人を中心とする競技者全員かな。みんなのおかげで、応援してくれる人たちもすごい盛り上がってくれたので感謝です。

伊藤さん
俺は、団のみんなに、いろんな人に助けてもらったかなと思ってます。自団だけでなく、同じモチベーション行動科学部でクラスが違う団の競技リーダーに名簿作成でトラブった時に相談に乗ってもらったり、クラスの仲いい友達にも相談したりしました。
あと、人が足りなくなった種目を全体グループで流した時に、特に1年生がたくさん出てくれましたね。あとはやっぱり自団の実行委員の担当の子にすごく助けられたかな。一番よく話してたから情報共有もできてたし。よき理解者でしたね。本当にいろんな人に助けられました。

仕事を通して自信ついたことがあれば教えていただきたいです。

伊藤さん
やればできるってことかな。大変だけど、いざやっちゃえば本当にできるし、頑張ってれば、諦めないでやれば絶対できるっていう自信になりました。

笠松さん
終わり良ければっていうところですよね。やってきたことがやってる間は正しいのかわからないですけど、今となってはこうして結果という形になって。自分の団が優勝したからっていうのもありますけど、そこまでのプロセスをやりきったっていうのは自信になったかなとは思います。自分で、ここまで頑張ってこれたんだって思えたので。
あとは、笠松君がリーダー長でよかったって風にクラスメイトから言われたりしたので、やってきてよかったなって思いましたね。

小塩さん
僕は、やさしさは伝わるといいますか。誠実に向き合っていけば、ちゃんとそれは伝わってるんだなっていうのを感じますね。自分ではちょっと頼りないリーダーだったなって思うところもあるんですけど、自分なりの全力を尽くして対応はしていました。それが相手に伝わっているのはすごく自信をもって言えるかなっていう風に思いました。

【読んでくださった皆さんへ】

この記事を読んでくださった方へメッセージをお願いします!

小塩さん
僕、こういう記事に載れることも一つの競技リーダー長になったきっかけでしたね。頑張りを見てくれる人はいるので、頑張りを認めてくれて、それがちゃんと発信されるって本当にうれしいことだから、頑張ってみて欲しいなって思いますね。

伊藤さん
思い出つくりとしてもいいし、自分にできるかできないかで悩んでるんだったら、競技リーダー長になったならできるし、ならない人はできないから。

笠松さん
やるかどうか悩んでるっていう時点で、できるんじゃないかと思いますよ。できない人はそもそもやってみようとか思わないし。気になって、やろうかなって、悩むっていうことはやる気があるということだから。やっぱりやった方がいいんじゃないかなと思っちゃうな。僕、こういう記事に載れることも一つの競技リーダー長になったきっかけでしたね。



